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【ifシリーズ】三国志:劉備玄徳編

また性懲りもなく続きそうにないものを書いたものだ、と自分でも思う。どうもまいどおおきに、志摩嶋エイジです。
タイトルは携帯とか某エロゲは関係ないです。

まず、誤解のないように言っておかねばなりませんので、三国志では常に劉備(りゅうび)精力(軍:しょくぐん)をやってますが、好きなのは沮授(そじゅ)とか田豊(でんぽう)と言った悲劇の軍師なんですよね。曹操(そうそう)軍で言うところの荀(じゅんいく)先生みたいな感じですな。
しかして、私は曹操軍にはあんまり詳しくないんですよね。と言うのも、人物や傑物が多すぎて覚え切れないっていうww
中学生の頃から、184-222年までの年表を網羅・暗誦出来るレベルだったのが嘘みたいに記憶が抜け落ちている件。
三国志?のシステム上、斬首のデメリットがなく、忠臣は適度に靡いてくれないので強くて鬱陶しい人物は斬っちゃう方が攻略するのに楽なんですよね。
その所為で忠臣ほど斬首する癖がついて、結果ザコ武将ばっかり覚えてしまったっていうw
ついでに、何故袁紹(えんしょう)軍なのか、というのも、大体徐州劉備プレイすると袁紹軍と相性が良いので登用しやすいというwwww


さて、言い訳は以上。
劉備をわざわざ焦点に当てたのも、色々とストーリーを考えやすいからです。
彼ほどドラマに満ち溢れた後漢時代の英雄もいないでしょう。

1.関羽(かんう)・張飛(ちょうひ)と出会わなければ?
劉焉(りゅうえん)の義勇兵募集には応じ、黄巾賊を討つ事になるのは正史と同じく。
公孫瓚(こうそんさん。さんは王賛)の下に尽き、劉虞(りゅうぐ)を討つ事もなく袁紹と和を結べたでしょう。
【発展】徐州牧(じょしゅうぼく。徐州は地名、牧は知事のような存在)となった劉備を攻めた曹操を助けられないでしょうが、恐らく劉備は大義名分を持って公孫瓚の元へ逃げ帰り、曹操VS公孫瓚の構図になっていた事でしょう。最終的には曹操と結んだ袁紹に裏切られて領地が奪われて公孫瓚と共に戦死するまで。没年は196年ぐらい?

2.超雲(ちょううん)が早くから劉備配下になっていたら?
あんまり歴史は変わらないかもしれませんね。超雲が公孫瓚の元に居ない事で変わる事と言えば、袁紹の負担が減ったぐらい?

3.徐州牧を辞退していたら?
劉備は1.に、歴史は史実と同じ結末になっていた事でしょう。
若干違うのは、関羽張飛の加入で袁紹軍の将軍は討ち死にしている為、公孫瓚にとって一番良い結末になったでしょうね。
また、官途(かんと)の戦いは曹操が鳥巣(うそう)兵糧焼き打ちする事もなく、一方的に勝った事でしょう。袁紹の残党狩りももっと早くに行われ、劉備軍自体が存在しないので後述の赤壁(せきへき)の戦いも実現しなかったでしょう。

4.呂布(りょふ)を招き入れなかったら?
呂布の軍師である陳宮(ちんきゅう)に謀殺されていた事でしょう。彼は賢い選択をしました。

5.袁術(えんじゅつ)を討たなかったら?
時は馬勝(ばとう)と結託して曹操を討つ、と息撒いたのはいいんですが、この時点で発覚しているので暗殺されます。
袁術を討つ為に出陣する、というより、曹操の手元から離れる大義名分が欲しかったからに他成りません。その為、出陣しなかった場合に彼の未来はありませんでした。

6.徐庶(じょしょ)を曹操の元へ送らなければ?
三国志? IFシナリオ:超・三国志】そのままでしょう。
概要を説明しますと、
諸葛亮(しょかつりょう)、劉備と徐庶を引き離さんとする曹操の計略を看破。
・徐庶、龐統(ほうとう)を推挙。
・三軍師による荊州の乗っ取りを実行。劉表(りゅうひょう)の長子劉(りゅうき)を擁立して自身は後見人になる。
これに怒った曹操が荊州へ攻め入るも、百戦錬磨の劉備軍と三軍師の奇策の前に敗れる。
では大勢力に成り上がった劉備軍と和すか倒すかで二分。小康状態に。
・馬勝、曹操に謀殺される。かつて、同じ詔勅を賜ったとして劉備と馬勝の子、馬超(ばちょう)が同盟する。
・馬超、長安(ちょうあん)占領。劉備、許昌を臨む。劉備、孫に荊南を移譲する公約を取り付ける(ダミー)
・馬超破れ、漢中へ。劉備と曹操の睨み合いが激化し、の関係が悪化する。
龐統、の陣中を訪れ共同戦線要請。周喩の荊南移譲契約が進むが、最中に病に没し契約中止に。
なお、魯粛(ろしゅく)が孫権(そんけん)軍の軍師となり、親劉備外交開始。
・漢中(かんちゅう)が司馬懿(しばい)の献策により開城。曹操、公を名乗り、羌(きょう)と和す。
・劉璋(りゅうしょう)、劉備に援軍要請。戦いの場は荊州北部から益州に。
・劉璋&劉備連合、天然の要塞を用いて曹操軍を追い払う。厳顔(げんがん)・黄忠(こうちゅう)・張任(ちょうじん)・馬超・延(ぎえん)を主力とした掃討軍を漢中に進軍。時を同じくして、関羽諸葛亮率いる荊北軍が許昌攻撃。
・魯粛没し、呂蒙が軍師に。劉備と孫権の関係が悪くなる。

ここからは忠実に従います。


7.劉備軍と孫権軍が同盟しなかったら?
まず九分九厘、劉備領の江夏を奪うため、戦場が赤壁ではなく西塞山(陸口)になっていた可能性もあり、曹操軍の大敗北の確率は下がります。
どちらにせよ水上戦は免れないでしょうが、大規模な軍勢を動員するには向いていないので、演舞目的で赤壁になっていた可能性は棄て切れません。

8.関羽が曹操を討っていたら?
場は荊州、赤壁の戦いで大敗した曹操軍を追い討つ劉備軍。華容道。関羽が情義で曹操を斬れず、見逃してしまう場面です。
ここに超雲を置いたら斬って棄てているハズなのですが、何故この役を関羽にやらせたのか、という疑問が残ります。

9.劉備が益州乗っ取りに賛同していたら?
まず、張松(ちょうしょう)が斬られる事も勇将が討ち死にする事もなかったでしょう。何より、龐統が流れ矢に倒れる事がありません。
これだけで後の南征、北伐時の諸葛亮の負担も少なかった事でしょう。
後の漢中攻防戦も違った形を見せていたかもしれません。

10.関羽がに友好的だったら?
諸葛亮の策の真意を理解していれば、きっと荊南移譲は成り、が結ぶ事もなかったでしょう。
諸葛謹(しょかつきん)の立場も少しは浮かばれたかもしれません。
皮肉にも、その判断が命取りになったのは言うまでもありません。
相手を信じる事の難しさをよく表した一例だと思います。

11.劉備が踏みとどまっていれば
勇将が戦死せず、呉の兵力をいたずらに消費しないぐらいの変化でしょう。
だからと言って目立って変わる事はありません。が、も呉も有利な状態でと戦う事が出来ました。

12.諸葛亮が帝位に就いていれば
誰も反論はしないでしょうし、劉禅も従う事でしょう。
後釜による騒動もなく、何事もスムーズに行ったと思われます。元々丞相としての彼の負担は大きいもので、劉禅が全てを丸投げしたからに他成りませんが、自分でやった方が何かと楽だったであろう気さえします。

13.子午谷を急襲していれば
これは延も言っています。諸葛亮は地盤を固めながら前線都市として安定・天水・武都を臨む祈山という拠点を確保して、あらゆる出方に対応していましたが、軍は物資や兵力、輸送拠点が少なく遠方での戦いは無謀極まりないものでした。
そこで、子午谷を通って長安を急襲し、拠点に出来ればこれらの都市は容易く手中に収まり、守るにも堅いので急務である、というものでした。
諸葛亮が懸念したのは、この策が失敗した時、立ち直れない程の大打撃を受ける事と、確実な勝利が得られるとは言い切れなかった為です。
結果的に見れば、子午谷を急襲した方が良かったかも知れませんが、もしも彼が子午谷を通って大敗し、没した際は逆の考察が為された事でしょう。


大きく見ればこれぐらいでしょうか。
劉備軍ほど様々なIFに溢れた勢力はありません。と、いうのも、他の勢力は限りなく正解に近い事をやってのけ、自己の勢力を成立・維持した為です。
たられば、というのはそういう部分を良く解釈した時に起こり得る自体を想定しただけであって、過去を悔いるものではない、という事を改めて明記しておきます。

こういうのを考えるのが好きな人に共感していただければ私の目的は達成、かな……。
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